科学哲学とチェス

SUB:RE:クズデータと価値の相対性 (^^;

宮崎さん、けーざいさん、こんにちは。おもしろそうな話題なので割り込みます。

ホパーは、大学生の頃「歴史主義の貧困」という本を読んだだけなので、宮崎さん
の新著の紹介、興味深く拝読しました。「反証可能性」と「検証不可能性」の説明
は「歴史主義の貧困」でも印象に残った部分でした。推薦された本を、早速、本屋
に探しに行こうと思います。

ホパーは近代西欧の(自然)科学を支える方法論(哲学)の有力な論客の一人でし
たね。ヴィトゲンシュタイン、ホワイトヘッド、ラッセルなと一生懸命読んだ頃を
思い出します(僕の頭では、ちゃんと理解出来なかったのですが)。

これらの20世紀の哲学の特徴は科学を形而上学から解放し、論理と意味を明確に
形式化させたことだと思います。その結果、宮崎さんも指摘されていらっしゃるよ
うに、現代の西欧文明の他文明に対する優位性を証明する哲学となっているのでし
ょうね。原子力、ロケット、コンピュータ、近代医学など20世紀の西欧の科学の
成果は、近代西欧の科学の方法論の有効性を示すものだと思います(あれ、これは
ポパーが問題にする帰納法の論理かな)。

ただ、この近代西欧の自然科学での優位性が、そのまま音楽の世界にもあてはまる
という意見には同意できません。

科学哲学と呼ばれる20世紀の哲学は自然科学を中心とする論理と意味の明晰な世
界(思考方式)は説明できるけど、情意の世界を分析するためのものではないと思
います。人文系の科学の多くは科学哲学では処理できない問題を取り扱っているた
め、独自の方法論をとっていますね。芸術はもっと人の情意によった世界にあるわ
けで、物理学や数学と同じ方法論で分析したら、おかしなことになるのではないで
しょうか。
論理と意味が明解な音楽が優れているというなら、12音音楽やトータルセリエル
の音楽が西欧文明を代表する音楽ということになりそうですね。僕はそうは思いま
せんし、宮崎さんもメッセージを拝見するかぎり、そのような意見を持っておられ
るとは思えません。けーざいさんが示唆されているように、シェーンベルクとホパ
ーは同世代の人であり、時代の雰囲気が明晰な方法論を重視する二人の仕事の仕方
に反映しているのかもしれませんね。
音楽は文学や美術と比較して、数理的な体系をきっちり定めやすい芸術であり、方
法論は論理的ですが、人を感動させる力は方法論だけで出てくる訳ではないと思い
ます(もちろんアジアやアフリカの音楽にも独自の方法論はあります)。

この間、新聞の特集で、チェスの名人とスーパーコンピュータが勝負して、第1戦
、スーパーコンピュータが圧勝したのですが、その後、名人が4連勝(だったかな
?)して、人が勝ったという記事を読みました。おもしろかったですね。
スーパコンピュータは21手まで全ての局面(天文学的数字だと思います)を読み
つくし、最善の着手を選べるようにプログラミングされていたのですが、22手目
以降で形勢が逆転する手は読めない。チェスの名人、第1局は完敗したのですが、
この仕組みに気がついて、第2局目以降、22手目以降で逆転できそうな、まぎら
わしい手(もちろん読み切れる訳では無いので、直観で。当然、人が読める最善手
ではない)を打って、勝ったそうです。論理と意味(この場合はチェスのルールと
局面の評価)だけではけりのつかない世界、まだ、いっぱい有るなあと安心しまし
た。

                                                        窪田 洋(TBE00266)
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SUB:RE^2:科学哲学

宮崎さん、こんにちは。丁寧なコメントありがとうございます。話題が変わってき
たのでタイトルを変えました。

| ぼくが理解している限りでは、ポパーは西欧の科学が生んだ成果によって、
|西欧科学を擁護しているのではないと思います。ポパーが擁護しているのは、
|彼が西欧科学にのみ存在すると主張する「仮説」という考え方であって、自分
|は間違っているかもしれない、という前提で世界に接するという態度、これは
|西欧の科学のなかにしかないという主張をしているのだと思います。

おっしゃる通りだと思います。いわゆる科学哲学は、認識論から論理と意味を
切り離し、仮説という検証可能な枠組みの中で、理論の正さを評価するための
哲学であり、現代の自然科学の有効性を支える有力な方法論となっているので
しょう。

| ポパーは情意の世界が科学であつかえないという立場の急先鋒でして、人文
|科学なんてものは存在しない、そんなものは占いと同じと主張しているのだと
|ぼくは理解しています。「歴史(法則)主義の貧困」は人文科学の範疇にはい
|るのかもしれませんが、ここで彼が主張していることも「歴史は科学の対象に
|はならず、歴史に法則を発見することはできない。未来は予測不可能であり、
|一寸先は闇だ」ということであろうかと思います。

科学哲学の考え方は社会科学にも影響を与えていますね。「歴史主義の貧困」も批
判の対象は社会科学であり、当時(1960年代)、有力なマルクス批判の著作と
して読まれていたと思います。別のメッセージからの引用になりますが、

| でも大学1年のころ「歴史主義の貧困」を読んで、くだらん本
|だと思いました。「漸次的社会工学」なんて、なにをいっている
|かと思いました。要するに、人を高揚させるというか、魂に火を
|つけるようなものがない、そう思いました。

宮崎さんらしい痛快な評ですね。楽しみました。
僕も「歴史主義の貧困」を読んだのは大学生の時なのですが、「漸次的社会工学」
というのはあまりピンとこなかったですね。
おもしろかったのは帰納法批判の部分で、なるぼどなあと思いました。ただ僕は文
科系だったので、周り中、帰納法だらけの世界。ウーム、いったいどうすりゃいい
んだろうと悩みましたね。

| ポパーのいうように、自分は間違っているかもしれないが、わたしはこう考
|える、という前提で議論ができるようになったというのが人間の最高の姿であ
|るとすると、ここでささやかでも、そういう議論ができていけるとうれしいな
|と思う次第です。

同感です。科学哲学がそれ以前の哲学と違うのは、この考え方だと思います。哲学
を形而上学から解放し、論理と意味を現実的実践の場で評価させることですね。

まあ、いずれにしても、ポパーの本はほとんど読んでいないので、紹介いただいた
ものを読んでみようかなと思います。ただ、ちゃんとした哲学書を読まなくなって
久しいものですから、気長に取り組むことにします。最近、読んだ哲学書といえば
「ソフィーの世界」だけだなぁ(^^;;;。

                                                        窪田 洋(TBE00266)
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SUB:RE:スパコン対チェス名人 (^^)

けーざいさん、こんにちは。

| コンピュータのほうは毎回最良の手を選択するようにだけ
| プログラミングされているのですが、じつはそこが落し穴
| なわけですね。(^-^) つまり<捨て駒>の概念がコンピュ
| ータにはないわけですです。。(^o^)

<捨て駒>というか、一種の<はめ手>だと思います。チェスの名人ならいくつか
の変化で21手以上先まで読むことは出来ると思いますが、全ての変化を読み尽く
すことはできない。コンピュータは21手目までなら全ての組み合わせを読み尽く
すことができる。したがって、21手先だけ読むという方法をとると、当然、コン
ピュータの方が有利です。
しかし、人は、局面を絞り込みめば、22手目以降も読めますから、コンピュータ
が読めない部分でまぎれそうな(有利になりそうな)手を探すことができる。そう
いう手を打たれるとコンピュータは21手目までで評価するので、おかしな応手を
してしまう。結果として、名人の打つ手が必ずしも最善の着手かどうか分からない
けれど、人が勝つことができる。ということではないでしょうか。

この間、新聞で羽生名人が「将棋の手を読むとき、何十手か先に最終的にこうなれ
ばいいなあという局面が最初に見えて、そこにたどり着くにはどうすればいいかと
逆に考える(手を読む)」といっているという記事を読みました。なるぼどなあと
思いました。チェスや将棋のような論理と意味が単純な世界でも、人は論理と意味
だけでデータ処理しているわけではないという所がおもしかったですね。

まあ、いずれ50手先、100手先を読むコンピュータが登場し、人がコンピュー
タに負かされる時がくるのでしょうが。


| おそらくシェーンベルクが生きていた時代の妙なちぐはぐ
| 現象がけっこう影響していたり。。(^^;

おっしゃるように、音楽作品(だけではないが)は作曲家の生きた時代の影響を受
けると思います。20世紀半ばの極端な無調の音楽は2つの世界大戦と50年代か
ら60年代かけての米ソ冷戦に伴う極度の緊張と無関係ではないと思います。全面
核戦争で人類が明日消えてしまうかもしれないという時代に、調性のある情感豊か
な音楽を期待するのは無理ですよねぇ(極論かなぁ)。
まあ、このへんが同時代(現代)の音楽を聴く醍醐味でもあると思っていますが。


| でして、、ようするに<ヨーロッパ音楽>と<ヨーロッパ
| 的な音楽のとらえ方>を分けて考えてます。(^^)  ヨーロッ
| パ音楽の優位性とは果たしてどの部分をさしているのか、
| なぜ優位性をもつとされるのか、この場合の優位性とはな
| にか、こういった概念操作により音楽のすがたを究明して
| いくのは、人文ブンヤの醍醐味ですね。(^_^)

ウーム。面白そうですね(^^)。ただ、宗教論争になりそうな気もしますが(^^;。

                                                        窪田 洋(TBE00266)